開催レポート:グランミューズ座談会(1)
去る2023年4月2日(日)に、『グランミューズ沼にハマって ~自分を映し、磨き、そして繋ぐピアノとの後半生~』と題し、オンライン座談会を開催。パネリストとして、各々仕事を抱えながら時間を工面してコンペに継続参加されている、5名の方をお招きし、100名以上の方がリアルタイムで聴講くださいました。
座談会の内容を、3回連載でお届けします。第1回目の今回は、「コンペ参加へのきっかけと、色々なホールでの演奏」です。
コンペ参加のきっかけ
関西に生まれ育ち、弦楽器の友人と室内楽を楽しんでいましたが、2010年に関東に引っ越してから、その環境が一変し、友人と気軽に会えなくなったことがきっかけで、独奏に興味を持ち始めました。また、引っ越しの際に所有していた沢山の楽譜を整理する中で、まだ弾いていない多くの曲への関心や、客観的に自分の演奏がどう聴こえるのか、などについて気になるようになり、2014年からピティナのコンクールに参加し始めました。
私が初めてピティナコンペに出場したのは2003年でした。前年の2002年10月に娘を出産したのですが、ベビーカーを押してふらりと楽器店に行った時に、楽譜棚の隣に置かれていたピティナのアミューズ部門(グランミューズ部門の以前の名称)の案内を見つけ、それが最初のきっかけでした。その後、広島予選に出場することを決め、それが今に至る20年間の始まりとなりました。
私は子供の頃にピアノを習っていて、就職後にやめていましたが、40歳で再びピアノを始め、先生に勧められてコンクールに出ることになりました。私が子供の頃はピアノを習っている男の子はまだ少なく、周りからチヤホヤされていたものの、コンクールで他のアマチュアの方たちの演奏を聴き、自分の技量の低さを痛感しました。その後、自分自身を磨くために取り組み続けて20年が経ちました。
40歳を過ぎた頃、指が動かなくなってきたことを痛感。それまでバンドでキーボードを弾いたり、シャンソンの伴奏をしたりしていたが、コードネームで自分が楽に弾ける音だけを弾いていたので、指を速く動かそうとしても動かなくなってきました。そこで真面目に楽譜通りに弾くクラシックの勉強を再開しましたが、インベンションから始めたものの、指も動かなく、なかなか上手く弾けず、いつまでたっても仕上がらない。そこで、自分を追い込むためにピティナに参加した。コンクールに参加するという目標をもつことで、練習を頑張れるようになりました。
色々なホール、ピアノで弾いた感想
浅田さん
2003年に初参加の広島予選を通過し、家族全員で上京して本選に出場。当初は予選出場だけで良いと思っていましたが、本選出場を決めたため、生後10ヶ月の娘をホテルのベビールームに預けて出場しました。初めて演奏したみなとみらいホール小ホールには、そのホールの素晴らしさに衝撃を受け、以来、他のホールでも演奏してみたいと思い、コンペに出場し続けるという運命にはまってしまいました。
内藤さん
アマチュアの特権は、どこで演奏しても良いことだと感じます。例えば、近くの県で予選があるにも関わらず、遠方の九州に行ってしまったり、また金沢の街が好きで、何年も予選を受けに行ったりしています。場所を決める際の基準は、好きな街やピアノ、あるいは好きなホールなどの要因も大きいです。ピティナに子供を連れて行って、小旅行を楽しんだり、本選に参加して美味しい食べ物を食べたりすることができ、アマチュアならではの楽しみを提供してもらえることに感謝しています。
中島さん
私があちこち行く理由は、まず島根県でグランミューズが開催されていないから県外に出かける必要があること、またコンペの日には教員として仕事があるため、土日は基本的に出かけることができないことが多いです。ただ、実際に遠くに出かけてみると、例えば、東京のファツィオリのショールームでの予選に参加した際には、ピアノにペダルがたくさんあって驚いたり、オシャレな場所だったため、刺激を受け、楽しい思い出があります。また、ヤマハやスタインウェイなどのピアノも会場によって違いがあり、どのホールの響きも素晴らしく、特に東京の王子ホールは本当に幸せな空間でした。ピアノマニアとしては、ピティナの会場になるようなところはピアノの状態が良いのでどこに行っても楽しめると感じています。