特別インタビュー ピアニスト、「聴く」を語る
活躍中のピアニストから、「聴く」ことにもこだわりをもった3人の方々にスペシャルインタビューでお話を伺いました。イギリスのヘイスティングス国際コンクールで優勝したばかりの森本隼太さん(2020特級銀賞)、ピアニストの内藤晃さん、鯛中卓也さん。数多くの音源を聴き、自らの演奏にも生かしている演奏家たちのコダワリを伺ってみましょう。
課題曲聴き比べ特集の公開にあたって、ピアニストの皆さんに「聴く」ということについてお話を伺っています。
「聴く」というので、今ふっと思い出したのは、小学校の恩師がしてくださった話で、「きく」には3つの種類があるというものです。ひとつは普通の「聞く」。まわりにある音やノイズとして聞こえてくるものです。もうひとつは「聴く」。意識を集中してよく聴く。そしてその先に行かないといけないと先生は仰いました。それが「効く」だと。僕が何かを「聴いて」、具体的に何かを感じて、自分の中で整理して、それを最終的にどのように人に伝えるのか。それが「効く」ということです。なぜか今、急にそのお話を思い出しました。そんなことをいつも考えてるわけではないんですけど、何年経っても覚えているということは、僕の根本的な考え方の中にその影響があるということなのかなぁ。この3つの「きく」は、今思い出してもけっこう大事なことだなと思います。
「聴く」ということを、どのように自分の演奏(弾くこと)に役立てていますか?
実際、自分の演奏に役に立てようとする場合、僕は楽譜を見ながら聴くことが多いです。ある程度、楽譜の読み方が分かっていないと、歴史的な素晴らしい音楽家の演奏を読み解くのはかなり難しい作業だなと、最近は感じています。シューマンやブラームスの交響曲を聴くときにも、今回コンクールでシューマンを弾くために歌曲の「詩人の恋」や「女の愛と生涯」も勉強しましたが、そのときにも、本当に学び取りたいと思う音楽を聴くときには、楽譜が常に手元にあります。そこにどういうフレーズがあって、音色があってということを確認していきます。
もちろん、インスピレーションを受けるとか、ただ美しい音楽を聴いて、自分の中の思い出や気持ちに照らし合わせて感動するとか、散歩しているときにサウンドトラックやポップスの音楽を聴くとか、そういうこともします。色々な聴き方をしています。
学びのために楽譜と照らし合わせながら音楽を聴くというのは、いつ頃からですか?
今、師事しているウィリアム・ナボレ先生に出会ってからです。最近はドイツ音楽を勉強することが多いのですが、ルールが分からないと聴きようがないというか、これまでの「勢い」のようなものだけでは理解できないことがあって、そうした聴き方をナボレ先生には教えていただきました。
小中学生の頃とは、興味も変わってきたのでしょうか。
もちろん興味はあったのですが、まずその頃は、指が回って、なんとかして思いを他人に伝える=「表現する」という自分の得意なことに夢中になっていました。高校に入って、オンラインの学校でしたから、家に誰もいないような状況で何をすべきか見失って、そこで初めて苦労を味わった気がします。自分がどんな人間になりたいか、何を自分が幸せと感じるか、そういうことに初めて深く向き合ったときに、感じる音楽の種類が変わってくる、ということがありました。
普段はクラシック以外の音楽も聴きますか?
もちろんです。小さい頃からディズニーの音楽は好きで、今も散歩しているときやリラックスしたいときに聴きますし、ジャズなんかも聴きます。中学生の頃は特にアメリカに憧れがあって、洋楽をはじめ、とにかく英語を使っているものにハマっていた頃もありました。ジャンルにかかわらず、「好きなものは好き」です。
最近感銘を受けた演奏や録音は何かありますか?
ありますあります!色々あるけど、やっぱり今回の本番の前にもずっと聴いていたくらい感動したのが、キャスリーン・フェリアーの歌うマーラーの「Ich bin der Welt abhanden gekommen(私はこの世に捨てられて)」ですね。あれは「ヤバイ」です(笑)。生きる意味を教えてくれるというか。この曲には、ジャネット・ベイカーなど素晴らしい録音はたくさんありますが、特にフェリアーの録音は絶品です。キャスリーン・フェリアーにせよ、ジャクリーヌ・デュプレにせよ、今回コンクールでイギリスに行って話してみると、ちょっとクラシック音楽が好きな方はみんな知っていて、育まれてきたバックグラウンドの厚みを感じました。
(3月11日、Zoomにてインタビュー)
マーラー:私はこの世に捨てられて(リュッケルト歌曲集より)
キャスリーン・フェリアー(コントラルト)ブルーノ・ワルター指揮ウィーンフィル
- Naxos Music Libraryへのリンクです
内藤先生が「聴く」ということを楽しみ始めたのは、いつ頃からでしょうか。もしきっかけなどもあれば教えてください。
身近に、クラシック通のおじが2人いた影響は大きかったと思います。自分がモーツァルトを練習していると、「リリー・クラウスを聴いてごらん」ってCDを貸してくれたり。幼少時に指導してくださった近所の城田英子先生も、好きなCDを色々聴かせてくれるタイプの方でした。
NHK-FMで黒田恭一さんがやっていらした「20世紀の名演奏」という番組は、さまざまな演奏家を知るきっかけになったと思います。当時、MDというメディアがあり、その番組をMDにエアチェックしてよく聴いていました。特集される演奏家は、アンドレ・ナヴァラ(チェロ)、ジェルヴァーズ・ド・ペイエ(クラリネット)とか、だいぶ渋いラインナップだった記憶があります。20世紀の終わり頃、黒田恭一さんはテレビのNHKでも、昔の演奏家の来日時の映像を特集するような番組を何回かにわたってやっていらして、カール・ベームのブラームスなどを随分わくわくしながら見たものです。
最初はピアニストを主に聴いていたのが、コンチェルトを聴くようになって、指揮者による違いが面白くなり、オーケストラや指揮者へと、興味が芋づる式に広がっていった気がします。親に頼んで、クラシカ・ジャパンというテレビチャンネルを視聴するようになり、バーンスタインの「ヤング・ピープルズ・コンサート」とか、カルロス・クライバーのリハーサル風景のドキュメンタリーなどを、面白くて繰り返し見ていました。コンサートにも色々足を運ぶようになりましたが、中学1年生頃に地元の鎌倉芸術館で聴いたアリシア・デ・ラローチャは、いままで聴いたこともないような色彩がピアノから引き出されていて、特に印象に残っています。
色々な演奏の音源を「聴く」ということが、ご自分の演奏(弾くほう)を深めるのにどのように役に立っていますか。
クラシック音楽の面白さは、新作初演を除くと、既知の作品が、演奏家によってさまざまな立ち現れ方をするところだと思います。知っているはずの曲が、初めて耳にするような感動を伴って体感されるとき、弾き手としても、このような体験を聴き手と共有したい、と切実に思います。そのためには、演奏は、単に過去の演奏家の二番煎じをするのでは意味がなく、心からの共感とともに自分の内側から生まれ出たものでないといけません。いい演奏との出会いは、自分の中の憧れのエネルギーを充填し、音楽という広大で終わりのない探求をさらに深めていくモチベージョンになります。
その一方で、20世紀中頃まで(演奏家が作曲や編曲もしていた時代)の演奏は、作曲家目線での音楽の話法のようなものが息づいていて、作曲家が音楽のなかに施している仕掛け(たとえば、煽るところは煽り、焦らすところは焦らし…というような)が絶妙な形で実現されています。その結果、コルトーやラフマニノフといった往年の名手の演奏と、今日の多くのピアニストの演奏は、落語の名人と、アナウンサーほどの落差を感じます。人の心を動かす音の技は、それが息づいていた時代の名演奏から「盗む」必要があります。「盗む」とは、ただ表面的に模倣するのではなく、その技の精神をほかの曲でも応用できる普遍性をもって理解することです。名手の草書的な演奏はそのままのスタイルでは現代にそぐわない部分もありますが、その中に息づく大切なエッセンスを盗んで自分のスタイルに融合させていく試みは、ぜひともお勧めしたいところです。
一例を挙げると、アルトゥール・シュナーベルが校訂したベートーヴェンのソナタのエディションには、細かいテンポ・チェンジがメトロノーム数字で記されています。これは、音楽の構造に寄り添った、本当に理にかなった提案であり、推移や展開部などで、調が安定せず音楽が動いてゆくところはわずかにテンポを速め、新しい調が確定するとわずかにテンポを落ち着ける、という絶妙なさじ加減をやっています。このようなアゴーギクは名指揮者たちも隠し味としてやっているものですが、重要なのは作曲家が施している仕掛けを演奏で実現するということで、シュナーベルの録音を彼校訂のエディションとともに味わうと、さまざまな重要な気づきがあると思います。
また、作曲家から直接指導を受けた人たちの録音がもつ資料的価値は計り知れません。僕は昨年、リストの弟子ゲレリヒが師のマスタークラスの様子を記した本を『師としてのリスト』(音楽之友社)として翻訳出版したのですが、ここに展開されているレッスンを踏まえつつ、ザウアー、ラモンド、ライゼナウアーなどのリスト門下のピアニストたちの録音を聴いてみると、リストがレッスンで伝えていたさまざまな言葉が演奏に息づいていることがよく分かり、音楽に内在する作曲家固有の美意識をイメージすることができます。同じようなことが、ショパンの孫弟子(ローゼンタール、コチャルスキ)のショパン録音、ブラームスにもレッスンを受けていたクララ・シューマンの弟子(アイベンシュッツ、フロイント、フリードベルクなど)のブラームス録音などにも言えます(本は『弟子から見たショパン』『ブラームスを演奏する』『ブラームス回想録集』いずれも音楽之友社)。われわれは作曲家の個々の音楽観に寄り添って、役者のように演じ分けなければならないわけで、その「役作り」として欠かせない研究です。
ふだんはどのような音楽を聞くことが多いですか。あるいは最近はどんな音楽を聴いていますか。
余暇にはジャズなどを楽しむことも多いです。固定されたテクスト(楽譜)のない音楽を紡いでいく楽しみは、テクストにどう命を吹き込むかというクラシックとは無縁のように思われがちですが、真にわくわくするような音楽体験は、テクストの呪縛から解放されることによって生まれます。感性のそうした部分を刺激するという意味でも大切な時間です。
ちなみに僕はミシェル・ペトルチアーニ(1962-99)の大ファンで、彼のCDはレアなライヴ盤も含めほぼ全て持っています。彼は身長が伸びない障碍を持っていた人なのですが、だからこそ全身のパワーで奏でられる(たぶん僕らからすると何倍も巨大な楽器に対峙しているような感覚でしょう)音のひたむきさと、まばゆいばかりの生命力にいつも心打たれ鼓舞されます。また、Looking Upをはじめ、彼のつくるオリジナル曲がたまらなく良いですね。
最近聴いて印象に残っていたり、感銘を受けたりしたCDや音源などを1つご紹介ください。どんなところが印象に残ったでしょうか。
沢山ありますが、ピアノを学んでいる皆さんに是非とも聴いていただきたいのは、これぞ音楽とも言うべき、ゲザ・アンダのショパン:エチュード Op.25の1965年ザルツブルク・ライヴ(ORFEO)。耳タコのエチュードが、どの曲もあまりに立体的で新鮮に響きます。さまざまな対旋律が浮かび上がり、バッハ的な多層性すら感じさせてくれます。音楽体験としてはとても新しいのに、奇抜さは皆無で、真摯な眼差しのもたらす普遍的な説得力を宿しています。オリジナリティというのは、外から味付けのように施すのではなく、徹底的に作品に分け入った結果醸し出されてくるものなのです。テクスト(楽譜)を読むということの意味、そして、そこに命を吹き込む演奏家の責任を考えさせられます。
リストは冗談ばかり言う先生だった!?~晩年の弟子ゲレリヒが残したメモから紐解く
ショパン:エチュード Op.25(ゲザ・アンダ 1965年ザルツブルク音楽祭ライブ)
- Naxos Music Libraryへのリンクです
「聴く」というのを楽しみ始めたのは、鯛中先生にとってはいつ頃からでしょうか。もしきっかけなどもあれば教えてください。
幼少の頃、ヤマハ音楽教室で、「はじめてのピアノコンサート(演奏は藤井一興先生でした)」というCDをプレゼントしていただき、そこに収められていた名曲の数々を聞き覚えで弾いていたのが原点だったように思います。
とりわけ色んな演奏家に興味を持つようになったのは、中学生の頃、ショパンの幻想ポロネーズに憧れ、ホロヴィッツとポリーニを聴いてみたところ、同じ曲でもこんなに世界が違うのか、と驚いたのが今でも鮮明な記憶として残っています。また、コルトーの自由闊達さや色彩感にもとても惹かれました。
色々な演奏・音源を「聴く」ということが、ご自分の演奏(弾く)を深めるのにどのように役に立っていますか。
十代の頃は、気に入った演奏に出会うと、感覚的に自分自身の糧にしていたように思います。ただ、それだけでは自らの言葉で音楽を紡ぐことにはならず、どこか表面的な演奏になってしまいます。
実りある演奏表現に向けて、音楽の理解と解釈は欠かせません。そのきっかけとして、あらゆる演奏にインスピレーションを受けることは、内なる発想を豊かにしていくのではないでしょうか。
ふだんはどんな音楽を聞くことが多いですか。あるいは最近はどんな音楽を聴いていますか。
昔は数多くのピアニストの演奏を聴いていましたが、大学時代、恩師の伊藤恵先生に「ピアノオタクじゃなくて、音楽オタクになりなさい」と指摘され、以来、オーケストラや室内楽、声楽等に触れる機会も大切にしています。そういったことから逆に、コルトー、ホロヴィッツ、チッコリーニ、ルプーといったお気に入りのピアニストの音楽への見聞が如何に広いのか、と思い知りました。
また、ジャンルは異なりますが、最近話題の藤井風さんもよく聴いており、その大きな才能に魅了されています。
最近聴いて印象に残っているCDや感銘を受けた音源などを1つご紹介ください。どんなところが印象に残ったでしょうか。
このところ、折に触れてレコードを聴いているのですが、井上直幸さんによるシェーンベルクのピアノ曲全集がとても印象的でした。
複雑なテクスチャーが内面的な対話としてこだまのように響き、レコードの趣きある音とも相まって、シェーンベルクのヒューマンな魅力が存分に伝わってきます。美しい装丁や充実した解説も際立っており、当時、このレコーディングに携わった方々の熱意がひしひしと感じられます。
そういえば、2019年12月、ベルリンでポリーニのリサイタルを聴けたのですが、そこで取り上げられたシェーンベルクがなんと温かく、ロマンティックであったか…そんなこともふと思い出しました。
鯛中先生が、Naxos Music Libraryから、お話に出てきた名演奏家の音源をセレクトしてくださいました。ピアノ曲事典プラスに加入していると、Naxos Music Libraryをお得にお聞きいただけます。
- アルフレッド・コルトー(1877-1962)
- ヴラディーミル・ホロヴィッツ(1903-1989)
- アルド・チッコリーニ(1925-2015)
- ラドゥ・ルプー(1945- )
- マウリツィオ・ポリーニ(1942- )
- 井上直幸(1940-2003)
- 伊藤恵(鯛中先生の恩師)
- Naxos Music Libraryへのリンクです