10月4日(金)に公開となる、ピアノコンクールを舞台にした映画『蜜蜂と遠雷』の公開を記念して、劇中で演奏されるピアノ曲の解説と演奏動画のご紹介。世界最大規模のピアノコンクールを主宰し、日本のこれからのピアノ界を担う若手の国内外のピアノコンクール出場をサポートしている加藤哲礼ピティナ事務局長が解説いたします!
映画で流れる音楽から、ピアノ曲をピックアップ!
タイトルをクリックすると、その曲の詳しい解説・音源紹介ページが開きます。実際のコンクールでの演奏もご紹介!本番の緊張感を感じてみてください。
バッハ「平均律」は、いくつかの声部を同時に自由に扱うことができるかという、プロのピアニストに必須の能力をチェックするのにうってつけの題材ですが、もっとも有名な1巻1番は、コンクールでは実はとても珍しい選曲。たとえば2019年度ピティナ・ピアノコンペティションF級(高3以下)予選で、バッハ「平均律」を選んだ、のべ583名の参加者のうち、1巻1番を選んだのはたったの4名。
前奏曲冒頭、この誰でも知っている美しい音楽をコンクールで選ぶのは怖いもの。これだけでも、演奏者の意気込みとキャラクターの伝わる個性的な選曲といえますね。
ハンガリーの作曲家ベラ・バルトークの最後のピアノ協奏曲で、最後の部分は他の作曲家がバルトークが生前に残していたガイドラインをもとに書き起こして補筆完成されたものです。大きなコンクールではレパートリーリストに組み込まれることが増えましたが、それでもまだオーケストラや指揮者には演奏経験が多くない(=コンクールでは一つのリスク)作品のため、ピティナ特級では、選択する方が1年に一人いるかどうかという程度。まして特級ファイナルではまだ演奏されたことがありません(かつて、桑原志織さん(2013特級銀賞)が東京音楽コンクール本選で演奏していました)。それだけに、ファイナルでこの作品を選択するというのは、ピアニストの大きなメッセージとなります。
今年の特級ファイナルでも映画同様、プロコフィエフの協奏曲2曲(2番と3番)が演奏されました。いずれも、国際コンクールでは定番の選曲で、3番は昔からの王道で知名度が高く、2番はここ15年くらいの間にコンクール本選の「勝負曲」の位置に躍り出ました。2番は、特級銅賞、その後の東京音楽コンクールでは第1位を受賞した秋山紗穂さんの演奏で。若書きの作品とあって、ピアノ独奏が前面に出て、よりダイナミックに、そして時には無骨に、プロコフィエフの覇気が漲ります。ソリストの実力が存分に発揮されるコンチェルトで、一時期、エリザベート王妃国際コンクールなど主要コンクールではこの曲で優勝するピアニストが相次ぎました。対して、人気の高い3番は、特級銀賞の黒木雪音さんの演奏です。魅力的な旋律が次々と繰り出され、スピーディな展開は聞きどころ満載。一方で、「スピーディ」とはつまりアンサンブル(オケとの合奏)が難しいということ!特に限られた時間でのリハーサルを余儀なくされるコンクールでは、スリリングなやりとりが聴きどころです。それだけに、うまく行ったときの爽快感もまた格別です。
ピアノコンクールでは
と選考が続き、それぞれの過程に課題曲が設定されています。
ちなみにピティナ・ピアノコンペティション特級ではこのような課題曲となっています。
それぞれの予選過程で、どのような観点で審査が行われているのでしょうか?
選考を段階式にしていく意味とは?
国内コンクールや学習者向けコンクールはともかく、「蜜蜂と遠雷」の映画や小説で描かれたような「国際コンクール」は、この先プロのピアニストとして活動していくことを志す音楽家の登竜門ですから、「プロの活動」をこなしていくのに十分な音楽性と能力をチェックすることが大きな目的です。各ラウンドや課題において、以下のような指針があるといえるでしょう。
- 今後も多くの作品を手中にするだけの基礎的な技能を備えているか(第1次・第2次予選等で、バッハ平均律、古典ソナタ、ショパンや各作曲家のエチュードで基本技能を問う)
- 新曲作品に対して、短い期間でおおよその音楽の概観をつかむ能力を持っているか(急に与えられた仕事に対して、一定のクオリティ以上の演奏が提供できるか)
- コンチェルトや室内楽で、短期間で、他者とコミュニケーションを取り、自分と他者の主張を織り交ぜながら一定水準以上の音楽を作っていくことができるか。
- 各ラウンドで、幅広いレパートリーに対してコンスタントに実力を発揮できるか(どの演奏会でも、多様な選曲でお客様に楽しんでいただけるか)
- すべてのラウンドを短期間にこなす体力を持っているか(コンサートツアーや演奏旅行をこなすだけのスタミナがあるか)
映画『蜜蜂と遠雷』のなかでも大きな意味を持つ「邦人新曲課題曲」。
浜松国際コンクールをはじめ、今年の特級でもこの課題が課されました。海外の国際コンクールでもそのような課題はあるのでしょうか?
「新曲課題」を課す意味はいくつかあり、国際コンクールでも定番の課題のひとつです。目的の第一は、2005年グランプリ金子一朗さんの表現を借りると、「短期間で、音源などの手がかりがない作品を<スケッチ>する<デッサン力>があるか」の確認。また、現代作品独特の記譜法や表記をある程度読みこなすことができるかどうかの確認。コンクール側からは、その国の作曲家(映画では日本人)の作品を紹介する啓蒙。一方、海外からの参加者にとっては多様な文化を理解し解釈するスキルを持っているかをチェックされる機会ともなります。
そして何より、皆が異なるプログラムで個性を発揮しようとするなか、唯一「同じ曲」を全員が演奏することにより、「同じ楽譜からどれだけ創意あふれる解釈と演奏を引き出すことができるか」を審査することができます。2019特級ファイナルの新曲「Portrait of B」も多様な解釈が披露されました。4人のファイナリストの熱演を、ぜひYouTubeで聴き比べしてみてください。楽譜がなくても、十分面白いですよ!
国際的なコンクールの本選、ファイナルに演奏される<ピアノ協奏曲>
少ないオーケストラとのリハーサルで、ステージの上で音楽が築き上げられていき、ラストへと向かっていく音楽には、ドラマが感じられます。
ファイナルの聴きどころ、最近の国際コンクールの選曲傾向は?
コンクールの「本選」「ファイナル」には独特の緊張感と期待感が満ちています。「ピアノの演奏能力のチェック」という意味では、実はその前のラウンドまでで、審査員の中では大体の結論は出ているのです。ただ、多くのお客様に愛される演奏家であるためには、たとえばイチローや長嶋茂雄さんのような、ある種の「スター性」が必要です。それは言い換えれば「一番決めなければいけないところで、やっぱり決めてくれる」能力とでもいいましょうか。
コンクールの本選会。一流のコンサートホール、満席の聴衆、オーケストラ、指揮者、(ときにはまた審査員)…。すべてを味方に付けて「一期一会」の演奏が成し遂げられる演奏家の壮大なドラマにこそ、まさに人は感動するのです。コンクールのファイナルを聴く醍醐味はまさにここにあり、今年2019年の特級ファイナルでの亀井聖矢さんのサン・サーンスは、まさにそんな「一期一会」の演奏でした。
ピアノコンクールの選曲で、そのコンペティターがどんな音楽を目指しているかわかる!?原作も映画もストーリーを全く知らない加藤事務局長に、登場人物4人のプログラムの情報のみから、そのねらいや音楽性を探ってもらいました!
- こちらのプログラムは原作である、恩田 陸「蜜蜂と遠雷」(幻冬舎文庫)掲載のものです。
音楽性と技巧とのバランスが取れた選曲です。1次から本選までを通じて、ドイツ、フランス、ロシアと各国・各期にわたる名曲を揃え、音色感、和声感、構成、機動性、音楽理解、様々な要素が高いレベルで必要とされるプログラムと思われます。
強いて言えば、2次はややヒヤッとする選択ですね。エチュードはラフマニノフのOp.39-5とリストの鬼火という、ピアニストなら誰もが知る「逃げも隠れもせぬ」2曲ですが、一方で、メインディッシュに用意されたのはラヴェルのソナチネとメンデルスゾーンの厳格なる変奏曲ということで、傑作ながら、このレベルのコンクールではやや平易な作品の組み合わせと思われます。それだけに、技巧と音楽性の両方に絶対の自信をもっていないと提出できないプログラムといえます。
基本的には、ショパンとシューマン、そこにリストを絡めたロマン派のストーリーを骨格としながら、ストラヴィンスキーやフォーレ・ラヴェルで変化を付け、それでもやはり本選はショパンに戻ってくるという大きな志向と流れがあります。ただ、このプログラミングの演奏者が、この規模のコンクールの鍵となる2次予選で、ストラヴィンスキーの難曲「ペトリューシュカからの三楽章」を鮮やかに演奏する技巧の持ち主であるとはあまり想定できず、コンクールでは色々な要素のアピールが必要ではあるものの、この演奏者が各ラウンドで順調に勝ち進んでいくさまはちょっと想像しづらいものがあるというのが、正直な感想です。
4人の登場人物の中では、もっとも現実味のある、いかにもコンクールで誰かが組みそうな選曲になっています。プログラムを見る限り、機動性・演奏能力の高さという長所を生かしながら(メフィストワルツ、パガニーニ変奏曲、バルトークのソナタ)、音楽的な諸要素をまんべんなくアピールできる選曲です。
また、自らの音楽的主張を発揮できる第三次予選で、リストやショパンの作品の中に、ちょっと目先を変えて洒落っ気とスパイスを加えるシベリウスも、最近の選曲の流行をよく捉えており、プログラムを見るだけで実力者と分かりますね。
1次予選のバッハ平均律1巻1番、2次のミクロコスモスやリスト「小鳥に説教する~」からしてかなり個性的ですが、極めつけは3次。サティ「あなたがほしい」やメンデルスゾーンの無言歌、あるいは自らが編曲した作品などは、演奏会のアンコールピースとしては取り上げても、大コンクールの本編で取り入れることはなかなかしづらいものです。本選のバルトークもいっぷう変わっています。強烈な天才か、はたまた「勘違い」の奇人・凡人か、プログラムがその二択を明確に示しています。一方で、ラヴェルの「鏡」を全曲演奏する(特に地味ながら静謐さに満ちた終曲「鐘の谷」!)ことや、ショパンの隠れた傑作、即興曲第3番を要所に据えていることから、この<二択>が「ひょっとしたら良いほうに期待できるのでは?」と予感させます。このキャラクターの意味を暗示する選曲です。
原作 | 恩田 陸「蜜蜂と遠雷」(幻冬舎文庫) |
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監督・脚本・編集 | 石川 慶 |
「春と修羅」作曲 | 藤倉 大 |
ピアノ演奏 | 河村尚子 福間洸太朗 金子三勇士 藤田真央 |
オーケストラ演奏 | 東京フィルハーモニー交響楽団(指揮:円光寺雅彦) |
キャスト | 松岡茉優 松坂桃李 森崎ウィン 鈴鹿央士(新人) 臼田あさ美 ブルゾンちえみ 福島リラ / 眞島秀和 片桐はいり 光石 研 平田 満 アンジェイ・ヒラ 斉藤由貴 鹿賀丈史 |
公開日 | 2019年10月4日公開 |