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コンペ50回記念企画:わたしとコンペ 第3回:赤井暖菜さん

半世紀にわたり、ステージの上で自らの可能性に挑戦する多くのピアノ学習者とともに歩んできたピティナ・ピアノコンペティション。50回開催の節目に、それぞれの成長の軌跡と舞台に刻まれた数々の物語、そして未来へ続く歩みをたどります。
私は今、大学の看護学科で、将来患者さんの心に寄り添える看護師を目指して勉強しています。
私の12年間のコンペティションを語る上で欠かせないのは、母が作ってくれた数々のステージドレスです。姉の影響でピアノを始めた幼稚園の頃から、母は私の弾く曲のイメージに合わせて、一針一針ドレスを縫い上げてくれました。
これまでのステージポイントは75。成長に合わせてリメイクしたものも含めると、手元には30着以上のドレスがあります。曲が決まると「今年はどんな色にしようか」と母と相談し、その曲の世界観を身に纏ってステージへ向かう。それは私にとって、単なる衣装以上の「勇気」をくれるものでした。

小学5年生の本選での出来事は、今でも忘れられません。出番の直前、舞台袖で緊張がピークに達したのか、突然鼻血が出てしまったのです。 当時のドレスにはポケットがなく、ティッシュも手元にありませんでした。真っ白な衣装を汚さないか、最後まで弾ききれるか――。あの時のパニックに近い焦りは、今思い出しても胸が締め付けられます。
そのハプニングを知った母が、それ以降のすべてのドレスに施してくれたのが、左側の「隠しポケット」でした。客席側からは見えない場所に、そっとティッシュやハンカチ、冬場には手を温めるカイロを忍ばせられるように。
「もし何かあっても、ここにあるから大丈夫」。ポケットの中の感触を指先で確かめるだけで、不思議と心が静まり、演奏に集中することができました。母が作ってくれたこの小さなポケットは、私のステージを支える一番のお守りになったのです。

学年が上がるにつれ、コンペを続ける仲間は少なくなっていきます。特に難易度の高いバロック作品が並ぶF級までの道のりは、決して平坦ではありませんでした。
私が大切にしていたのは、苦手な分野こそ「早めに手をつけて、心の余白を作る」というピアノに向き合う姿勢です。バッハのインベンションやシンフォニアなど、一筋縄ではいかない曲ほど、課題曲発表のずっと前から取り組み、自分の中に馴染ませる時間を持ちました。「予期せぬ困難」を想定して、あらかじめ自分を整えておく――。
この習慣は、看護の学びの中でも大きな助けになっています。推薦入試の面接対策では、周囲が動き出す前に自ら先生に相談し、何度も練習を重ねました。看護の実習でも、患者さんの変化を予測し、何が必要かをあらかじめ準備しておく姿勢が求められます。ピアノを通じて身につけた「先を見越して最善を尽くす」という姿勢は、形を変えて今の私の背中を支えてくれています。

コンペで出会った曲の中でも、特にハイドンの明るく軽やかな世界観が大好きでした。苦労して向き合ったバッハも、今では日常の中でふと口ずさむほど、私の一部になっています。
看護の世界は、ピアノと同じように日々の地道な積み重ねと、深い想像力が必要な場所です。ステージでの一発勝負を支えてくれたあの「隠しポケット」のような、細やかな配慮と安心感を、いつか私も誰かに届けられる看護師になりたいなと思います。
母がドレスに込めてくれたような『誰かを想って整える心』は、たとえどんな道に進んだとしても、その先の人生をずっと温かく照らし続けてくれる。私はそう信じています。
点数や結果も大切ですが、目標に向かって誰かと二人三脚で歩んだその時間こそが、いつか自分を支える本当の力になってくれるはず。今目の前にある一歩一歩を、大切に楽しんでほしいなと思います。


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